2014年07月01日

コンピュータと「かもめのジョナサン 完成版」

今回はちょっと書評っぽいものを書いてみたいと思います。
お題は「かもめのジョナサン 完成版」(リチャード・バック著、五木寛之創訳、新潮社刊)です。

■あらまし
この本のオリジナルは、1970年に三章構成の小説として発表されました。
餌を取り、生きるための手段として飛んでいるかもめの群れの中でただ一羽、純粋に飛行技術の追求に意義を見出し、群れから異端として追放されながらも新しい世界で生きていく、かもめのジョナサンの物語です。
本来この物語は四章構成だったらしいのですが、作者の意向で第四章をカットして刊行されていました。この度刊行された「完成版」は、40年を経て作者の心境の変化によって公開された第四章を収録したものです。
今回ブログでこの本を取り上げたのは、1983年に発売されたNECのパソコンPC-6001mk2およびPC-6601のパッケージやマニュアルのデザインにこの「かもめのジョナサン」がモチーフとして使われており、P6ユーザーゆかりの小説であるからです。
Jonathan.jpg
ちなみに現役P6ユーザーの間には、オフ会などでファミレスにたむろする際には「ジョナサン」を使うという掟があります。

原作者のリチャード・バックは元米空軍のパイロットで、この作品も飛行中の心象風景から生まれたものでしょうし、最初に刊行された1970年にはパーソナルコンピュータと呼ばれる製品は存在していなかったわけで、作者の意識の中にコンピューターは全くなかったと思われますが、新たに発表されたエピソードも含めて、コンピュータの歴史と重ねてみると奇妙な類似性が見られます。
というより、テクノロジーとそれを扱う技能についてのメッセージと解釈すると、高い普遍性があるように思えました。

私自身この本を読むのは初めてなのですが、今回はコンピュータの視点から「かもめのジョナサン」が発していたメッセージを私なりに解釈してみたいと思います。

■第一章
第一章は、かもめのジョナサンが、飛行そのものの魅力に取り憑かれ、飛行技術の鍛錬に傾倒するあまり群れから異端とみなされ、追放されてしまうまでを描いています。
「ほとんどのカモメは、飛ぶという行為をしごく簡単に考えていて、それ以上のことをあえて学ぼうとは思わないものである。(中略)重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変わりなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ。」

PC-6001mk2が発売された1983年は、PC-9801のような16ビット機やビジネスソフトも充実し始め、パソコンが実用品という性質を強く帯び始めた頃だと思います。
そんな中で、P6のパッケージにかもめのジョナサンを採用したというのは、「実用的な目的のためのコンピューターもいいけど、純粋にコンピューターを動かすこと自体を楽しんでほしい」というNECからのメッセージだったのかもしれません。
P6mk2Box.png
PC-6001mk2のパッケージ(実物を持っていないので、Hashiさんによる再現画像です)

「彼の考えが勝ったのだ。極限速度!一羽のカモメが何と時速三百四十二キロに達したのだ。それはひとつの<限界突破>であり、群れの歴史上最も偉大な一瞬なのだった。」

純粋に飛行そのものを追求することによって、それまでのカモメの生態とはかけ離れた所業を成し遂げてしまいます。
ところがそんなジョナサンは長老に呼び出され、群れから異端として追放されてしまいます。
「…ジョナサン・リヴィングストンよ。汝もやがてはさとるであろう。無責任な行いが割りにあわぬものであることを。我らの生は不可知にして、かつはかり知れざるものである。わかっていることはただわれらが餌を食べ、そしてあたうる限り生きながらえるべくこの世に生を受けたということのみなのだ。」

80年代において、パソコンのホビーユーザーに対してはここまで風当たりは強くなかったと思いますが、私は技術的に可能であるにも関わらずプラットフォームによって様々な行為が禁止され、ネットサービスの恩恵を従順に享受するユーザーであれと言われているような、現代のコンピューティングの世界を連想してしまいます。

■第二章
追放されたジョナサンが、彼と同じように飛ぶことを追求するカモメたちの群れと出会い、修行をする物語です。
「彼はいま地上から雲の上へと、光り輝くカモメたちとしっかり編隊を組んでのぼってきたのだが、ふと気がつくと彼自身の体も他の二羽と同じように次第に輝きはじめていた。」

二羽のカモメがジョナサンの前に現れ、新しい世界へと誘って行きます。その世界とは、一羽一羽が自らの飛行技術を追求し、鍛錬を続けるカモメの集まりでした。
PC-6601のパッケージには三羽のカモメが描かれていますが、このシーンをイメージしていたのかもしれません。
P66Box.png
PC-6601のパッケージ(同じくHashiさんによる)

ここでジョナサンは、チャンというかもめの長老に出会います。ここでとうとう、カモメが瞬間移動の術を体得するというインフレモードに入ります。
「チャンの語るところによれば、瞬間移動の秘訣は、まずジョナサン自身が自分のことを、限られた能力しか持たぬ肉体の中に閉じ込められている哀れな存在だと考えるのをやめることにあった。たかだか1メートルあまりの翼長と、せいぜい航空図に書き込める程度の飛翔力しか持たぬカモメの肉体に心をとらわれるな、というのである。」

そしてこの奥義を会得したジョナサンは、緑色の空と2つの太陽を持つ、見知らぬ惑星まで到達してしまいます。
このへんの描写がスピリチュアルすぎて、おかしな宗教などにはまってしまった読者もいたと聞きますが、PC-6001mk2でスペースハリアーを動かしてしまったり、動画を再生してしまったり、P6でSDカードを読み書きしてしまったりと、まさにハードウェアという肉体を超越してしまったP6ユーザー、クリエイターは大勢います。(笑

■第三章
ジョナサンは弟子を取るようになり、飛行技術の教鞭をとるようになります。
彼の望みは、彼の弟子たちが、元いた群れのカモメたちの中からたとえ少しでも、飛ぶことを縛る掟や制約から解放し自由にしてやることでした。
彼らは群れの近くを飛び、群れのカモメたちから見えるように飛行実習と講義を行うのでした。
「彼はごく単純なことを話した―つまりカモメにとって飛ぶのは正当なことであり、自由はカモメの本性そのものであり、そしてその自由を邪魔するものは、儀式であれ、迷信であれ、またいかなる形の制約であれ、捨て去るべきである、と。」

リチャード・ストールマンが言いそうなセリフですが、それ故に異端視されるというのも奇妙なリアリティがあります。

しかし群れのカモメたちはジョナサンたちを悪魔と呼び、恐れおののき殺そうとまでします。
「一羽の鳥にむかって、自己は自由で、練習にほんのわずかな時間を費やしさえすれば自分の力でそれを実施できるんだということを納得させることが、この世で一番難しいなんて。こんなことがどうしてそんなに困難なのだろうか?」

ここには、ジョナサンと群れの間の価値観の隔たりが見て取れます。何かをできる人が、そのスキルを獲得するのに費やした「ほんのわずかな時間」だと思っている時間は、実際には寝食を犠牲にして投入した時間であることがほとんどです。ジョナサン自身、餌を取るのを忘れて飛行に没頭したため、飢えによりやせ細っています。
コンピュータのスキルがある人が、そうでない人に話が伝わらないということを嘆く場合、このギャップを認識できていない(自分と同様の学習コストを投入できる、すべきだということを前提としている)ことが多いように思います。

その後、ジョナサンは弟子のフレッチャー・リンドに後を託して世を去ってしまいます。

■第四章
さて、ここからが問題の第四章です。
ジョナサンが去った後、飛行技術を研鑽するために集まったはずのカモメたちは、ジョナサンとその直弟子を崇拝する教団と化してしまいます。
「彼らは終始フレッチャーを追いかけ、ジョナサンが言った通りの言葉、そのままの仕草について聞き、あらゆる些細なことまでを知りたがった。(中略)ひとたび、メッセージに興味を持つと、彼らは厄介な努力を、つまり訓練、高速飛行、自由、空で輝くことなどを怠るようになっていった。そして、ジョナサンの伝説の方にややもすれば狂気じみた目を向け始めた。アイドルのファンクラブのように。」

「幾年もの間に、クラスは変化した。壮大に舞い上がる飛行の歌声が消え、ジョナサンをめぐる静まり返った講話になった。聖ジョナサン<尊い唯一のお方>について、砂浜で長く熱心にその名を唱えつづけるのだ。誰も飛ぶことなどは忘れてしまった。」

この一章が初版発行から40年、またパーソナルコンピュータが出現してから30年あまりたって公開されたことは偶然とはいえ示唆に富んでいる気がします。
PC-6001シリーズを含め、黎明期のパーソナルコンピュータのハード、ソフトはすでに多くが失われており、残ったものもいずれは失われていく運命にあります。 また、当時活躍したクリエイターたちも、多くは業界を去り、また何名かの方はすでに鬼籍に入られています。
30年前に登場し現在レトロPCと呼ばれるコンピュータを使う者として、この一章は、そうして失われたハードやソフト、そしてクリエイター個人を崇拝の対象にすることの危険性を警告しているように思われてなりません。

一方現代に目を移すと、この状況はジョブス亡き後のAppleとその周辺の状況にも酷似しているように見えます。

作者は封印していた第四章の原稿が発掘された時、このようなジョナサンの声を聴いたと言います。
「あんたのいる二十一世紀は、権威と儀式に取り囲まれてさ、革紐で自由を扼殺しようとしている。あんたの世界は安全にはなるかもしれないけど、自由には決してならない。わかるかい?」

現代のコンピューティング環境が安全であるとはとても言えないと思いますが、安全を大義名分にして自由を奪われる状況にはなりつつあると思っています。
そもそもコンピューティングを自由にするべきかという議論はあると思いますが、私自身はこれからもコンピュータは個人に力を与え、自由にしてくれる存在でいてほしいと願っています。

■まとめ
初版から完成版刊行までの40年の間がありましたが、その時間をコンピュータの歴史と重ね合わせてみると
・コンピュータのことなど意識せずに「かもめのジョナサン」の物語を書き上げた作者
・第四章の存在を知らずにコンピュータのパッケージにかもめのジョナサンを採用したメーカー
・ジョナサンのようにコンピュータを使うこと自体を追求し続けたユーザーたち
これらの間には奇妙なつながりを感じずにはいられません。

普段読書とか書評とか全くしないアホの子なので、何が言いたいかわからない文章になってしまいましたが、四章構成の完成版でも非常に短い物語ですので、ホビーとしてコンピュータを使う方には一読をお勧めします。
posted by eighttails at 00:06| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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